熊本地方裁判所 昭和30年(わ)650号 判決 1959年4月07日
被告人 三枝賢
昭一〇・一一・二八生 屑拾い
主文
被告人を死刑に処する。
押収に係る皮製トランク(証第二〇号)は被害者浜岡トクの相続人に、背広上下(証第二一号)及び懐中時計
(証第二二号)は被害者浜岡時盛の相続人に各還付する。
訴訟費用は被告人にこれを負担させない。
理由
(罪となるべき事実)
被告人は本籍地で三枝憲次と同恵子の長男として出生し、昭和二十六年大月東中学校卒業後は大月市都留市など所在の鉄工所に勤めたが同二十七年四月頃恐喝未遂事件で甲府家庭裁判所に送致され鑑別所に収容された挙句保護観察処分に付されたが、かねて素行が悪く怠慢であることなどから家庭にも居辛くなりかつは生来の浮浪癖も加つて同二十八年五月末頃家出して鹿児島を目指したが、途中無賃乗車の事件で熊本家庭裁判所に送致された。被告人は同裁判所で本籍、氏名等を不詳と偽つたため、同裁判所では被告人を試験観察に付し、併せて玉名市築地の浦田栄己方にその補導を依託し、ここに本籍を浦田方、氏名を松江陽一とする複本籍を生ずるに至つたところ、その後同年十一月頃右浦田の世話で同市所在の高木パン屋に見習工として就職し、その際同パン屋で働いていた浜岡時盛と相知るようになり、その後右時盛の世話で荒尾市所在の甘栄堂、前田パン屋等を転々としたが、その間にも東北地方、北海道地方を放浪し、昭和三十年十月初頃からは熊本県玉名郡長洲町中町千六百八十六番地で万頭製造をしていた前記浜岡時盛(当時四十八年)方に雇われ住込んで働くことになつた。しかし同人が飲酒のうえ些細なことで被告人に口喧しくあたるので憤慨し、翌三十一年一月初頃より、寧ろ同人及びその妻トク(当時六十三年)の両名を殺害し、金品を強取して再び放浪しようと企図してその機会を窺つていたところ、同年一月十二日午前二時頃万頭製造のことから時盛と口論となるや前記企図の実行を決意し、同家仕事場にあつた薪割斧(証第一号)を携行して隣室の同人を襲い、右斧を以て同人の後頭部を二、三回強打し、更に同室にいたトクを突き倒し附近にあつた鉄瓶(証第二号)で同女の左頭部を二回位強打したうえ同女の口に袷布切端(証第一二号)を押しこみ、よつて即時時盛を頭蓋骨々折並びに頭腔内出血により、トクを口腔内異物充填による窒息により夫々死に至らしめ、同女所有のダイヤ入指輪一個「とく」と刻した印章一個(証第一七号)長洲信用金庫預金通帳一通(預金高二万七千十一円、証第一六号)トランク一個(証第二〇号)及び右時盛所有の背広上下一着(証第二一号)懐中時計一個(証第二二号)自転車一台、(以上時価合計約六万五千円相当)を強取して所期の目的を遂げたものである。
(証拠の標目)<省略>
なお、被告人は熊本簡易裁判所で鉄道営業法違反により昭和三十二年十月十七日罰金千円の判決言渡を受け、右判決は同年十一月一日に確定したものであるが、右の事実は熊本地方検察庁検察事務官作成名義の松江陽一に対する前科調書及び被告人の当公廷における供述によつて明らかである。
(法令の適用)
被告人の浜岡時盛及び浜岡トクに対する各強盗殺人の点はいずれも刑法第二百四十条後段に該当するところ、右と前示前科に係る罪とは同法第四十五条後段の併合罪であるから同法第五十条により未だ裁判を経ない本件について処断することとし、以上は同法第四五条前段の併合罪の関係にあるが、そのうち重い浜岡時盛に対する強盗殺人罪について定めてある刑のうち、死刑を選択し、同法第四六条を適用して被告人を死刑に処し、押収してある主文第二項掲記の物件は本件犯行による賍物であつて被害者に還付する理由が明白であるから刑事訴訟法第三百四十七条第一項を適用して主文第二項掲記のように被害者浜岡トク及浜岡時盛の各相続人にそれぞれこれを還付することとし、訴訟費用については被告人が貧困のため訴訟費用を納付することのできないことが明らかであるから被告人にこれを負担させない。
よつて主文のとおり判決する。
(裁判官 山下辰夫 三村一恵 松田富士也)